夏が9月まで続き、10月で一気に秋。そして11月も寒波が押し寄せ、秋のツーリングを楽しむ間もなく冬の足音・・・
庭の千島桜はすっかり落葉し、モミジとシャラ、ツツジ、プチチェリーが紅葉。
漬物用の大根とカブも干して、すっかり冬支度だけど、まだバイク乗る気満々。
でも、そろそろ冬眠の準備だけはしとかんと・・・
まずは全車、ガソリン満タンにしとくべか〜
と、もう今期の出番は終了のCB125を出した。
▲近所にある八紘学園の農産物直売所から見える風景。
畑のトウキビが刈り取られると、鉄塔の向こうに冠雪の山が見えます。
自宅には夕張岳方向に窓が無いから見えないが、ここからは見えるんです。
今日は札幌でも最高気温8度・・・バイクで夕張は寒くてムリだべな・・・
ガソリン入れたついでに、グルッとご近所を走る
ここも八紘学園の一角で、古いサイロがある
スケッチなんかするには良い場所だ
いつになったら絵を描くことを再開するやら・・・
今月末、いよいよ近所に両親が引っ越しする。その準備も色々あるのだが、もうすぐバイクも乗り収め。
午後から、GSXでチョロッと散歩ツーリングに出ることにした。
清田区から仁別を通るウラルートも久々
現国道を外れ、ひっそりと秋色に染まる仁別
畑の収穫も終わって、静かに冬を待つ風景だ
旧松島駅逓所
北海道各地に設置された駅逓の一つで、132年経った今も明治初期の姿を残している。
駅逓とは、交通が不便な地に駅舎や人馬などを備え、宿泊もできた施設で、明治の北海道開拓と共に駅逓が造られた。
島松駅逓は、明治6年(1873)12月、函館ー札幌間の札幌本道の開通に伴って、島松川の右岸に設置され、勇払場所総支配人の山田文右衛門が明治8年まで初代取扱人を勤め、2代目は山口安五郎が勤めた。
その後、明治10年(1877)に、中山久蔵が請人となって鶴谷新次郎が駅逓取扱人となる。そして明治17年(1884)8月から島松駅逓が廃止されるまで、中山久蔵が取扱人となって駅逓の業務が行われた。
現在の建物は明治6〜13年(1873-1880)に建てられた木造平屋建て。中山久蔵宅と客室、14年に造築された行在所で構成され、その後も小規模の改修が行われた。
132年余り経っていても、手入れされていれば木造建物も立派に残るものだね。
旧松島駅逓所の木々は、まだ落葉せずに紅葉が残っていた。
中山久蔵とクラーク博士の記念碑の後にあるモミジは、今年も3色に染まってる。
試験水田を赤く染める落葉・・・カメラやスマホで写真撮りに立ち寄る人の姿も
駅逓所の裏手には、明治天皇も立ち寄ったとされる記念碑などもあり、木々に囲まれ落ち着く空間が広がる。
ハス池や庭園が残り、木々の紅葉もキレイなのだが、写真を撮る間にも、風に葉が舞って散ってゆく。
今年は秋が短く、あまり紅葉を撮影できなかったからな〜・・・
ストロボ発光だと枝が丸見えでコントラストがイマイチになる。
寒いが晴れた空の元で紅葉が撮影できてよかった。
高くそびえるのは杉の木か、
いつ植えられたのだろう
いつかは伐採されるのだろうか
いつまでもこの姿が見れるのだろうか
そこに色を添えるモミジが鮮やかだ
駅逓と古い小屋、木造に赤い屋根が紅葉を引き立て、落ち着く日本の風景。
こんなロケーションを探すことも難しくなってきた今、貴重な場所だ。
島松から道道&ウラルート経由で長沼方面へ向かい、道の駅・マオイの丘へ。
手は冷え切った・・・上半身はガッチリ防寒で完璧なだけに、手足の先は寒さが増す。
今年の乗り収めをしてきた様子で、駐車場の一角ではハーレーの集団が解散していった。
特性肉まん1個と露店販売していた「いかめし」1個を二人でつまみ食いして温まる。
陽が暮れだすと、
一気に寒くなることは分かっていても、
夕暮れ風景に期待してウロウロ・・・
見渡せる高い場所へ
雲が厚い・・・ダメかな〜
ひと山越えてお隣の由仁へ。伏見台の展望場所から夕張岳を見るが雲隠れだった・・・
眼下の田畑や家の風景がパッツリ陰ってゆく。
寒くてメットも取る気にもならず、カメラも出さず・・・なヨメ。
日暮れがあっという間だ・・・
ちっとも走った気がしないな
まあ、寒くて長くは走れないが、
手の指は冷え切って辛くても
やっぱりバイクは止められない〜
ハイジ牧場を望むバス回転場から夕陽を眺めるが、雲は動かず。
道東は釧路方面のように真っ赤に染まる夕陽が見たいな〜・・・
毎回、二人して想うのだけど、なかなか厳しくて釧路までは行けなくなってきた。
来年こそはと思うが、自身の景気回復と身の回りが落ち着かないことには行けないかな。
落陽を見届け、気温も5度くらいになったか?あとは暗く寒い夜道を帰るだけ。
帰ったら、速攻で熱いシャワー。手足の末端は冷え切ってたので、しばらくジンジンしびれていた・・・
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