雨の探索ツーリング<万字>(産業遺産ツーリング.22)    ●画像クリックで拡大表示アリ
6月10日(sun)【くもり/雨】
 昨年の春同様に週末は天候が崩れるパターンでバイクが出せず、6月に入ってから気温が低め。気温も20度以上のハズが、本日も札幌上空は晴れても360度見渡すと遠い空が曇天・・・



 気温が上がってくる昼頃、気乗りしない空を気にしつつ札幌を出て、毎度のウラルート経由、道道1056〜274号で南幌町を栗沢へ向けて北上。東の空、山の方は暗い雲・・・夕張方面の山越えはムリそうだし、栗沢を抜けて三笠方面へ。
 札幌市内を走るには暑かった装備でも、郊外に出れば冷たい風で冷えるくらいだ。


 岩見沢の志文から夕張へ抜けるルート、道道38号
 昨年は通行止めが続いていたので走らなかった

 夕張方面の山には黒い雲があるが、先へ進んでみる

 「万字峠」の手前、万字の町を目指す

万字

 道道から案内板もあり、沢へ降りる手前に「森林公園」への道があるが今回はスルー。
 現在は公園として整備されているが、元は万字炭鉱の鉱業所があった場所です。

 道なりに沢へ降りてゆくと橋があり、渡った先には元の万字炭山駅がありますが・・・写真撮るの忘れてた・・・

 で、また後日行ったので画像を載せます。
 現在、駅のあった場所は個人が利用している建物のようで、以前は普通の家のように使われていたのをどっかのサイトで見た。今は倉庫?に利用か?そして周囲をよく見ると、列車が通るホームだった形跡がわかります。

万字曙町
 元の炭山駅から左折
 細い道を進むと町だった形跡が残っている
 今も利用されている家屋があるが、
 今シーズンの雪なのか?
 それ以前からだったのか、
 使われていないような木造家屋は倒壊していた


 コンクリートブロック造で立派だった建物も、長い年月で朽ち果ててきている・・・
 それでも、キレイに使われている古い木造住宅や、別荘のような建物もあった。


 川の向こう側には木々に隠れた建物が見えて、その先にはサビ付いた橋。


 道なりに先を進むと、山側には住人が居そうな古い住宅。道沿いに住宅が建ち並んだ昔のメイン通りだと思うが、倒壊したまま悲しい姿の建物も数軒あった。曇天が寂しさをさらに強調するな・・・

万字仲町 岩見沢市栗沢町万字仲町

 昭和60年(1985)の廃線まで、「万字駅前」だった場所です。駅舎だった?小さな建物が残ってますが、バス待合室と書かれてあり、簡易郵便局になっている。
 万字炭鉱が昭和35年(1960)に閉山するまでの、活気があった頃の面影は想像もつかない。


 ▲こちらも万字探索の続き・・・再訪して撮影
 線路があるホームは沢の下で、建物のウラには階段も残っていることを知り、また後日行って確認してみた。帰ってからネットで調べて色々知るもので、遠くない地だから再訪できるというものです。
 建物の壁は塞がれているが、裏手へまわってみるとホームへ降りる階段があった。階段の上に立ち、下を見ると線路も無いホームへと階段が続いているが、今はフキやイタドリなど雑草が生い茂っているだけでした。


 万字をウロウロしながら、雲行きをうかがうが、
 万字峠の空には雨雲・・・

 夕張に向かって峠越えはムリかな・・・


 「国土情報ウェブマッピングシステム」などで1976年頃の航空写真を見ると、家が建ち並んでいたことが分かる。
 万字駅があり、町の中心だった区域は道道を走り抜けては気がつかない場所だったのだ。初めてこのルートを走ったのは学生の頃だから約25年前。縁も無かったので、調べて初めて町の構成が解ってきた。

 帰ってから画像と見てきた記憶、航空写真や地図などを元に自作Mapに記したものなので正確とはいえないけど・・・
 かなりアバウトですが、が現在も健在の建物で、が資料から予想される建物跡


▲万字駅跡の前広場から左右を見渡した風景
 数軒の家が残っているが、ほとんどが更地に変わっている通り沿いの街並み。
 左手にガソリンスタンドだったような看板柱と形跡、商店だったような家があるだけです。


 万字駅跡から正面に続く道があり、
 寺の横を通って山の方へ続いている

 子供の頃住んでいた社宅のような、
 懐かしい住宅があったが、
 窓に板が貼られ、もう使われていないようだ
 


 少し進むと舗装が途切れ、レンガ造りの倉庫と家が見えてきた。
 古い建物みたいだが、家の窓にアルミサッシなど入っているし、最近まで使われていたのだろうか?


 右手に見えた倉庫のような建物の背後、小道を歩いてゆくと大きな石碑があった。
 樹木慰霊乃碑・・・裏側を見ると文字が彫られていた。
 昭和四十八年三月 及川秀次郎と記されていて、書かれていた内容は・・・
 大正初期に入植し農業を始めた父母が、昭和初期には林業を始め、戦時中には軍需材の生産、戦後は復旧のため建築材や石炭産業などに必要な木材として林業を営んできたが、伐採してきた樹木の霊に対する詫びの言葉と、亡くなった2人の青年と馬に対する冥福の念がビッシリと綴られていた・・・
 林の中にひっそりとある立派な石碑に書かれていたのは、40年前の言葉だった。


 万字駅跡より北に「お菊人形」で有名な万念寺がある
 大正8年、病がもとでわずか3歳で命を落とした少女が、片時も離さず手にしていたおかっぱ頭の日本人形。少女の死後、棺の中に入れるのを忘れたので、お骨と一緒に仏壇に奉っていたら人形の髪が伸びはじめた・・・
 という話です。

 その人形が寺に奉られているそうですが、
 もちろん気味が悪いのでスルーです。


 再び万字炭山へ戻ります。曇天の日に寂れた町を見るのはイヤなものです。
 寂れた町や廃墟など、カラー写真の時代にわざわざモノクロ写真で表現されますが、悲壮感が増して寂しくなるだけなので、あまり好きではありません。晴れた日に訪れて、活気があった頃の町を想像する方がいいです。


 第10号橋・・・橋の先には“放牧中”の立て札・・・牧場でもあったのでしょうか。
 駅前の市街地から、炭鉱へと続く細い道です。どんな暮らしがあったのだろうな・・・


 狭い谷間の中を鉄道が走っていた風景とは、どんなものだったのだろうかと想像する。
 鉄道関係の古い映像で見ることができても、実際の地で見るスケールは違うものだ。


 炭山駅跡を通り過ぎてダート道を奥へと進むと・・・
 サビ付いた看板に「↑旭町 →西原」とうっすら書かれていたのが読める。
 旭町は沢より山の斜面にあった炭鉱住宅地で、西原は川沿いの住宅地だったのか・・・


 今では普通の林道みたいな道、
 すぐ先でゲート

 先があってもバイクじゃムリですが・・・


 万字の沢を後にして、道道沿いに戻る。行き交うクルマもほんとに少ないルート。


 わずかに残っている長屋住宅には、まだ暮らしがあるが見かけるのは高齢者の姿だ。


◎万字炭鉱 明治38年(1905)〜昭和51年(1976)
 当初は、独立系の炭鉱会社(朝吹家)が開発を進めたが、石炭の輸送の目途が立たず、明治36年(1903)に事業を譲り受けた北炭(北海道炭礦汽船株式会社)が、朝吹家の家紋「卍」にちなみ、炭鉱名を万字炭鉱と命名し明治38年(1905)に本格操業を開始。昭和35年(1960)に北炭は経営分離し、万字炭鉱株式会社となって操業した。
 複雑でもろい地質だった万字炭鉱は、山一つ隔てた夕張炭鉱に比べても出水量が多く、地下水量に悩まされ続け、昭和51年(1976)の台風6号による出水事故で、主力坑道が水没し復旧できないまま閉山となった。



 道道38号を夕張に向かって進むと、
 道路脇に「万字炭山」へ続いて道案内の
 サビた看板が残っている

 夕張へ向かって行くと雨が降ってきた・・・
 やっぱり峠は雨模様なので引き返す


 ●栗沢町立万字小学校
 明治39年(1906)9月21日〜平成2年(1990)3月31日
 平成22年(2010)の夏、閉校してからも体育センターとして使われていた体育館なども、全て解体されて残るのは記念碑だけです。

 コーナーにタイヤ痕も少ない最近はどうなのか良く知らないが、80年代のバイクブームがピークだった時は、万字ー夕張間の「万字峠」はバイクの“走り屋”“峠族”が集まる峠道だった。
 夕張から峠を駆け上り、後半の下りワインディングをハングオンでカッ飛んでいく走り屋達・・・たまに走りに来ましたが、本気で攻めてるレーサーレプリカや2ストマシンなどガンガン走ってる時に遭遇すると、瞬発力も非力な4スト250バイクでガンバルのは恥ずかしかったものです・・・
 そうして峠をヒーヒー言いながら必死こいて下りてくると、ここ万字小学校の体育館の赤い屋根がドンと見えてきて、ペースダウンしたものです。


 万字の町を外れれば、果樹園が続きます。道も急に狭くウネウネとなり、ここでフン詰まりになったものです。
 果樹園が広がる狭く曲がりくねった区間も、後半は昔より道が広くなった。



 ●栗沢温泉 明治42年(1909)〜平成23年(2011)
  明治42年に発見され、湯の沢として親しまれてた鉱泉

 ▲道道から見える白い看板(後日撮影)   山間にある栗沢温泉の正面▲

 バス停の奥、小さな白い看板に「栗沢温泉」と書かれていたが、今は消えている。
 万字や美流渡など近隣の炭鉱が全盛期だった頃は、多くの労働者で賑わっていた栗沢温泉も、近年は昔から親しんでいた人達が訪れるくらいだったようです。

 とても親しみある佇まいの温泉ですが、道道からも奥まっていて農家の間を通り抜ける山間の場所にあり、温泉好きでもなければ来ないような場所にあります。

 2011年2月1日、都合により休業となった。もう再開することは無いのかな・・・


 半端に終わった探索・・・パラパラと雨に追われて、岩見沢まで戻ってきた。
 菜の花の季節なのに週末の天気も悪くて、今年も畑などに咲く菜の花?や菜の花もどきのキカラシ類などを見るだけ。
 岩見沢の町を抜けて、道道687号で新篠津村へ。


 新篠津に入っても上空は不安定な雲行き・・・革ジャンの袖口から入る風で腕が冷えます。
 冴えない天気にこれといったネタも無く、いつものウラルートを江別経由で札幌に向かう。
 再びパラリと雨に降られ、終始冴えない散歩ツーリングに終わった。
 2年連続、週末の天気に恵まれない6月になりそうです・・・


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