産業遺産探索ツーリング.14<三笠・大夕張>    ●画像クリックで拡大表示アリ
8月21日(sun)【くもり/晴れ】
 前日の土曜、ヨメは晴れてる間に軽く乗りたいと言うが・・・

 我が家の良いところは東西南北の空が見えること。

 ・・・朝から空と風を見て・・・豪雨の予感・・・

 予報では午後3時頃から雨だったが、日本海からの雨雲の流れが早い・・・そして雷が聞こえ、予感通り一気に豪雨〜!(涙
 その後晴れたが時間も半端になり、ガレージ作業で終わった・・・
 どうも週末になると不安定な天気になる今シーズン・・・

 そして日曜。今日も空を見渡す。
 札幌上空は快晴だが、恵庭・千歳方面の南の空がヤバそう・・・
 しばらく空を見ながら悩んだが、停滞気味の雨雲。その時、日高地方で営業中の仕事人からメール。
「日高は晴れているよ」(でも東は雨を抜けないとムリだべ)
「恵庭は朝から雨らしいよ」(やっぱり南はムリだな・・・)
  
 走るか迷ったが、まず北へ向かって雨雲をかわし、東へ行けるか進路を決めようと、道道1080号で南幌へ向かった。

南幌町 三重湖公園キャンプ場

 三重湖
 公園とキャンプ場がある三重湖。夏はヘラブナ釣り、冬はワカサギ釣りの名所だそうです。
 昭和初期、夕張川に新たな水路の堤防を築くため、土を取った場所に水が溜まってできた小さな湖。名前の由来は、この地を開拓した人が三重県からの入植者であったことから、故郷の名を付けたらしい。


 いつも通り過ぎているだけだった三重湖、初めて訪れてみた。キャンプ場は対岸にあり賑わっているようで、湖畔には釣りをする人が見えた。水鳥の姿もあり、湖の中州まで歩いていける。夏休みも終わるからか、マイナーだからか、人も少なくて静かだった。のんびりした時間が流れます。


 上空は晴れて気持ちの良い夏空だが、南の空を見ると恵庭方面の雨雲は変わらず停滞していた。風はやや東〜西に流れているが、北の空は晴れている。

 どこまで逃げ切れるか?・・・

 道道274号を北上し栗沢町へ向かった。

栗沢町


 線路を渡って栗沢町の中心へ向かうと、レンガ造りの建物が目に入った。元は菓子屋さん?現在も営業中?? 建物の奥はレンガ造りの姿を残し、小さな工場のようにも見える。
 現在は無人駅で室蘭本線も通る栗沢駅は、北炭鉄道の駅として開業した。メイン通りを走ると郵便局もJAの大きな建物もレンガ造り。鉄道が物流の主役だった頃は倉庫や何かだったのか、古いレンガ造りの建物が現在も利用されているようだ。
 レンガと言えば江別。栗沢も江別が近いからレンガ造りの建物も多く残っているのかな。



 そして「栗澤劇場」と読み取れる建物が残っている。もう使われず廃墟のようだが、立派な劇場だ。
 現在は農業が基幹作業の栗沢町も、かつて炭鉱で栄えた町だ。駅前の中心地から北東へ20〜30キロ行くと、美流渡、万字といった炭鉱で栄えた地区がある。重厚なレンガ造りが残る町並みを見ていると、炭坑最盛期当時の繁栄が垣間見える。


 札幌方面、南の空に押し寄せている雲・・・

 そのまま西へ流れて、北が晴れていてくれれば、
 雨に当たらずに帰れるが・・・
 
 道道30〜917号で三笠市幌内町へ向かった。

幌内町

 幌内に炭鉱があった頃の町は今日も時が止まったような景色だが、今後も人や建物が少しずつ減り続け、この集落も姿を消してしまうのか。

 炭鉱があったヤマの方には、夏らしい青空。

 なぜだか心が落ち着く町の景色。

 ここに居たら胃もキリキリしないかな・・・w



 見下ろす場所に「三笠鉄道村」がある。かつては幌内線の終着駅、幌内駅があった場所。現在は駐車場になっている場所にも家が建ち並んでいたようで、この集落も今より大きかったのだ。
 1882年、北海道で最初の鉄道として開業した「幌内線」。そして1987年、旧国鉄から現JR北海道になった後、最初に廃止されたのも「幌内線」だったようです。

 道内の小中学校では夏休み最後の日曜、家族連れで賑わっている。鉄道村から蒸気機関車の汽笛が聞こえてきた。
 かつて炭鉱で栄えていた頃は、蒸気機関車のケムリがモウモウと上がっていたのだろうか・・・


 道を走るとバッタが飛びまくった

 お寺の方には、虫アミを持ち虫を追いかける子供
 それを見守る祖父らしき人

 小学生の頃、夏休みに帰った故郷を思い出す

 全然違う景色でも、そんな気持ちにさせるのは、
 小ぎれいな札幌の住宅地に住んでいると感じない、
 “町並み”と“土の道”と“空気感”からだろうか・・・

三笠クロフォード公園 (三笠鉄道村)

 どん詰まりの町、幌内から市内方向へ戻って走ると、
 並走する幌内線を観光用トロッコ列車が走っていた

 公園にあるのは初代駅舎を復元した幌内太駅(旧三笠駅)の売店。中央に鉄道模型ジオラマが置かれ、鉄道グッズもあった。



 公園の線路上には、自分が生まれた年になる“昭和43年の北海道開基100年記念式典”の際に、お召列車を牽引したというディーゼル車が置かれていた。単なるディーゼル車かと思ってたが、近づいてみて初めて詳細を知りました。鉄道にも興味を持っていれば、北海道の歴史や、石炭産業などについてもっと早くから多くのことを知ることができたかもね・・・



 ディーゼル車の顔を間近で見ると、ウルトラマンに出てくる怪獣の顔のような・・・
 そして右画像は「キハ」と言う車両ですか?コレが子供の頃から一番見ていて、馴染みある車両かも。
 北海道や炭鉱の歴史を巡っていると、鉄にもハマりそうですが・・・あくまで必然のオマケ

三笠


 空知集治監レンガ煙突(1882〜1901年) 【1970年(昭和45年)指定 三笠市指定文化財】
 1882年(明治15年)、この地に開設された空知集治監(刑務所)。レンガ煙突は、1890年(明治23年)に建てられた集治監典獄(刑務所長)の官舎のもので、集治監で造られたもの。官舎は集治監を訪れた要人達の宿泊にも使われた。
 そして幌内炭鉱では集治監幌内外役所が設けられ、囚人たちは危険な採掘作業に就かされた。まだ人の手による“手掘り”で人力が主流だった頃の話、三笠開拓の歴史には空知集治監に収容された多くの囚人達の犠牲があった。
 北海道各地に収容された囚人たちは、未開地の開墾、道路の開削など北海道開拓の中で最も重労働を強いられたのだ。


 コチラも三笠博物館などで知ってはいたが、実物は想像してた大きさより小さかった。住宅街と農地の横にひっそりあり、時々抜けるウラルート沿いあったのに、今まで気がつかなかった。

美唄


 そのまま、水田の広がるいつものウラルートで美唄へ向かう。
 高速道の奥の山の上に、いつも気になる大きな納屋のような建物・・・未舗装路なのでバイクで探索は行きたくない。
 建物へ続く道がどれなのか調べて、いつかジムニーで来たら探索してみよう。

 美唄の駅前、国道沿いの広場に来てみると、何やら夏祭りのイベントが開かれていた。やきとりなどのいい匂いに誘われて、会場に入ってみる。見慣れた美唄の名物がズラッと店を出して並んでいる。「美唄やきとり」5本(500円)と、初めての「アスパラひつじバーガー」を1つ買って2人で食べた。よく買って帰る「美唄やきとり」も現地で食べるのは初めてだった。歯ごたえがある焼き鳥は毎度の旨さ、バーガーは羊肉のクセを感じないミンチに甘めのソースで旨かった。
 この暑さとメニュー・・・ノンアルコールでいいからビールが飲みたかったが売ってないし!甘いサイダーでガマン(涙

 三笠へ戻り道道116号から空の様子を気にしながら、国道452号で大夕張へ向かってみることにした。



 桂沢湖を過ぎ、清水沢までの国道452号区間は、シカやキツネの飛び出しに要注意だが、交通量が少ないから快走ルート。
 平野部の直線道を淡々と走ったので、高速ワインディングを快走〜♪ 風も涼しく革ジャンでも腕が冷える・・・
 この区間、探索してみたい林道も多いが、最近はクマも多いみたいだからな〜・・・誤射の方が怖いかな?

 新しく建設中の巨大ダムでルートも変わる。新しい道路区間が見えてくると、大夕張はすぐそこだ。

大夕張 鹿島小学校跡地


 いつもの休憩ポイント、国道から小学校だった場所へ入ってすぐに、1頭のシカ・・・

 跡地に入ると4人家族らしき人影があったが、なぜかクルマなど見あたらない・・・

 バイクを止めて、また雲隠れで見えない夕張岳の雲が晴れないかと、一服しながらアワダチソウなどにカメラを向けたりしている間も、兄弟か兄妹か?分からなかったが子供2人、背丈ほどのアワダチソウが咲くグラウンドの中を走り回っていた。

 その家族とは外野とピッチャーほどの距離だった。親らしき2人は、子供の姿を見ている。

 それから、走り回っていた子供達も両親の元へ戻り、家族4人は連れ添って、国道とは反対になるグラウンド跡の奥(元はテニスコートがあった方向)へ歩いてゆき、林の中に消えていった・・・

 えっ?そっち??・・・ここに訪れる人達は、たいていこの場所(校庭)まで乗り物で入ってくる。だから何か思い出があって来ている家族と思ったが、急に不思議に感じた。

 来てから10分くらいの出来事、林の向こうにクルマでも止めているのだろうか?
 確かに、小学校跡地の北側にも脇道はあったが、国道からは工事車両と土砂しか見えなかった。昔はグラウンドの北側にも住宅はあったのだから、その家族にとって思い出の場所なのか??

 ・・・なんだか幻の家族でも見てしまったような気分だった。

 家族の姿が見えなくなり、グラウンド跡を歩いて記念碑と母子像のある場所まで近づいていった。

 そろそろ太陽も山に隠れ、日暮れが早い大夕張・・・

 ザワザワと葉音が聞こえるだけで辺りは静かだった。

 この母子像は移設されるのだろうか?沈められるのだろうか?
 そんな事を考えながら、バイク止めた場所まで下を向いて歩いて戻ると、地面にはシカの足跡ばかり目立った・・・

 あの家族は・・・

 それから国道に出て、家族が消えた方向の脇道を見ると、やっぱりクルマや家族の姿は見えない。確かに道が奥まで続いているが、奥の方は林に隠れて見えない。道には水たまりもあったのでバイクでは入りたくないし、なんとなく、それ以上は探らないことにした。
・・・幻でも何でもなく実際の家族だったなら笑われてしまうだろうけど、夕暮れ時の不思議な出来事として、心に留めていたい気分だったのです。

“日曜の夕暮れ、休日の父親と小学校グラウンドで遊ぶ子供達、ご飯だよ〜と迎えに来た母親と、夕食の準備が出来ている家へと戻る家族”・・・その後も、妄想が膨らむばかり(w

白銀橋
 大夕張鹿島を後にして、白銀橋へと降りてきた。
 15キロほど奥に行けば夕張岳のヒュッテがあり、登山客も訪れている道。現在ヒュッテは改装中らしい。

 以前もバイクで、10キロほど奥まで行ったことがあるが、ヒュッテまで行ったことはない。橋も道もダムに沈めば、このルートも変わるのだろうな。
 時間も遅いし、今回も奥へ進むのは先送り・・・

 木々が伐採されたばかりだが、あっという間に雑草や笹が生い茂った。オンロードバイクでの探索はキビシイので、ダムに沈む前に次はジムニーで来なければ。



 生い茂っていた木々も伐採されてしまい、すっかり開けてしまった・・・
 しかし、30年ほど前までは、ここにも開拓農家が点在していて、6キロほど奥まで農地が広がっていたようだから、小高い畑からは見渡しが良かったのかもしれない。
 この舗装された道もこの場に何があったか知らなければ、ただ不思議に思うだけだったろうね。

南部青葉町


 かつての商店街の中心、窓が開きカーテンが揺れているのは一軒だけだ。街灯の向こうは消えた住宅地。
 誰か記念にでも持ち去ったのか?電気店の前にあったハズの朽ちた「乾電池販売機」が消えていた・・・
 道路の住人はバッタ・・・ダム方向へ伸びる道、ダム完成後はどこに通じる道になるのだろうか?



 昨年まで立っていた廃墟も、ひと冬越えて崩れていた・・・次々とガレキになっている。
 ここに残って暮らしている住人の方は、この光景をどんな気持ちで毎日見ているのだろうか・・・

 ダムがどんどん高くなっている

 対岸の道の先にもトンネルが見える
 青葉中心から伸びる道も工事用にしては立派な道だ

 山の向こうには道道136号があるが、不完全な難所の林道だ。でもその方角には占冠があり、道東道の穂別インターチェンジが穂別ダム奥の長和地区に出来る・・・

 まさか、道道136号からも道東道にアクセスできるように、新たに道路建設がされているのだろうか?

 国道も昔より良くなった今、そこまで高速道路が必要なのか?とも思うが、広い北海道で衰退する地域医療などのことを考えたら、Dr.ヘリや高速道路は必要なのかも知れない。しかし、それ以上に町村の過疎化が速く進んで“無用の長物”になる可能性もある。現時点のニーズに合わせても、長い工期中に世の中は変わってゆく。ダムを巨大化したのはいいが、果たして多くの犠牲に見合うことが出来るのか?


 清水沢を出て新夕張から国道274号で一気に川端まで戻った。

 結局、雨を大きく迂回できたようで、雨に当たることなく空知地方をグルッと巡ってきた。

 日暮れの時間も早くなってきた・・・今日はどこで落陽か?

 また夕陽と勝負



 長沼、国道337号を外した、いつもの場所・・・今日も地平線の雲に沈む、微妙な夕景でした。
 早朝から遠くまで走って行きたいところだが、今年は不安定な天気で半日ツーリングばかりです・・・

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