産業遺産探索ツーリング.7<夕張>    ●画像クリックで拡大表示アリ
10月16日(sat)【晴れ】
追分町


 紅葉の色づきも遅れているようだし・・・また夕張へ・・・その前に、定点観測?でお気に入りの場所へ。
 秋まきの小麦なら、もう青い芽が出ている畑があったが、ここはまだなのか?違う作物なのか?
 秋晴れのいい空模様なのだが、紅葉がまだ足りないな〜・・・



 畑が広がるウラルートをグルグルと走る。謎の作物は最近テレビで長芋だと分かった。
 家庭菜園などで育てたことがないと、どんな姿で畑に育つのか分からない野菜はまだまだあるな。

 パークゴルフ場の入り口に、セスナ機の実物オブジェ・・・実物利用に昭和を感じる。
 中にはヘリのスクラップもあった・・・最近は廃クルマなどの実物利用も見かけなくなったな〜。

滝の上公園


 「紅葉祭り」も終わった1週間後の公園・・・散っている木々もあるが、色がぜんぜん付いてない。
 やっぱり9月まで暑さが続き、朝晩が冷え込まなかったからだろうか、紅葉が良くないな。
 遠目にはまずまず良さそうでも、木に近づいてみると、葉がクシャッとしててキレイではないのだ。

夕張市楓&夕張市登川
 国道沿いにはアパートや住宅が残っているが、住んでいる人が少ない。
 昔は炭鉱があったことを知らなければ、なぜこんな場所に?と不思議に思うような土地。
 占冠方面に向かって隣の「登川」地区にも炭鉱があったが、今はほとんど家が残っていない。
 旧道を奥に進むと「登川駅」があった付近に、まだ人が住んでいる家が1軒だけあった。
 登川炭鉱跡より奥に進めば、シュウパロ湖まで通じている「ルベシップ林道」となる道だが、
 現在は高速道路の大夕張トンネルが建設中なので、立ち入ることは出来ない。

 「三井登川炭鉱」は昭和28年(1953)に閉山と、道内でも閉山が早かった炭鉱のためか、
 町もそれほど大きくならないうちに、地場産業を失った町は過疎となっていったようだ。
 しかし隣の「楓」地区は真谷炭鉱の傘下になり昭和62年(1987)まで「北炭楓鉱」が操業してたので、
 町として機能・発展したため、今もこの地区から離れずに暮らしている人が土地を守っているのだろう。



 二代目の楓駅・・・今も列車が通るJR石勝線だが、利用者が少ないため駅は廃止されたようだ。
 ホームは残っているが駅舎は無くなったようです(右画像:中央、木の部分)。
(左画像:右)まだ新しく見える連絡通路の上には、山の上までガードレールが残る・・・
 歩いて登ったが、平地はあるものの広い更地となっていた。学校でもあったのだろうか?と想像。
(後日調べると、航空写真にアパートらしき建物と学校が写っていた・・・登川中学校だったらしい)
 線路の上を渡った南側には、国道と線路を見下ろす場所に廃墟のアパートが一棟あるのみ(右画像:左側)



 元の北炭楓鉱発電所は、平成3年(1991)にデコレーションされて石炭ガラス工芸館となるが、
 バブル崩壊後の平成6年(1994)に閉館・・・歴史的な建物なのに今は無惨に放置状態だ。
 この旧道と国道との間に、登川炭鉱へと続く鉄道「登川支線」が通っていたらしい・・・

 国道274号沿いには、選炭場と炭鉱住宅があった場所に北海道物産センター夕張店があるが、
 頭上に建設中の高速道路が開通すると、客足はどうなることやら・・・閉店に追い込まれそうな気がする・・・
 高速道路の無料化もいいかげん止めないと、高速道でスルーされる町が衰退するだけだ・・・
 無料化で走れるのは緊急車両、運送業などの営業車輌だけで、観光者は有料の方がいいと思うのだがな〜



 登川支線にあった旧楓駅は、この商店の背後あたりに存在したようだが、今は国道がある。(左画像)
 そして反対側には、利用されていないような小さな公園があり、楓小学校跡地の石碑があった。(右画像)
 隣の生活館が元小学校跡?と思ったが、後で調べてみると、この場所が小学校ではないようだ。
 この場所からさらに奥、林へ続く道の奥に学校があったのだ。(この時は立入禁止の看板があった)
 今では小さな集落・・・しかし元は呉服店だった家などもあるし、立派な街として機能していたのだ。

 「錦楓寺」の前

 石勝線の線路がすぐ目の前にあるが、
 カーブミラーの下に気になる古い看板

 「構内徐行 厳守」・・・構内って何だろ?

 寺が2つもあります
 それだけ、人が住んでいたってことです
 墓地の入口の紅葉がキレイに染まっていた


 国道274号で新夕張へ引き返す。
 畑地が広がって見晴らしの良かった場所も、
 高速道の盛土が縦断し、国道からの景色が悪くなった

 通り過ぎるクルマも人もどんどん減り、
 残る住民の次世代が暮らしを継がなければ、
 町が消えてしまうのも時間の問題かもしれない

新夕張


 新夕張も、通り過ぎるかコンビニに立ち寄るくらいしか知らない街・・・はじめて駅前に来てみた。
 昔の駅名看板「もみじやま」が駅前駐車場に残っている。紅葉山の方がしっくりくる名だ。

 駅の裏手にある工業団地の区域へ入ってみる
 炭鉱住宅らしきアパートも残っているが、空室が目立つ

 フローリング材を製造する工場があった
 開拓で山を切り開き、林業も発展しただろうが、
 なんでもかんでも輸入に頼っている日本、
 林業〜木材加工業などはどうなんだろうな・・・

真谷地


 国道452号、沼ノ沢から道道750号で真谷地へと入る。
 行き止まりのルートなので、何年か前に紅葉狩りで迷い込み?で初めて知った地域。
 その時はじめて炭鉱跡の古い建物を見て、炭鉱があったことを知ったのだった・・・



 まず道路が終わる場所まで走ってみる。真谷地に入ると、まず「6区」で最深部が「1区」となる。
 「3区」付近に集落が残っている。干された大根は古い住宅に似合うな〜
 「1区」まで続く道をどんどん登って行ったが、たぶん「2区」付近だろうか?ゲートが閉じていた。
 そこにクルマが1台・・・元住民なのか、自分と同じような探訪者なのか。
 こういう場所に来ると、どの町でも炭鉱跡や鉄道跡などを巡る人を、時々見かけることがある。

北炭真谷地炭鉱跡 昭和62年(1987年)閉山
 引き返して「第2立坑口」があったと思う場所

 通気パイプ?のようなものがあるだけ・・・
 封印されて、取り壊されていた後だった

 つい最近だったし、まだ残っていたと思ったが、
 2008年春頃に解体が終わったみたい・・・
 一歩遅いタイミングで、炭鉱街を巡ってる自分(涙

 鉄材をリサイクルで再利用するために取り壊すのか、
 歴史の上でも重要な炭鉱跡が急速に消されてゆく・・・



 「立入禁止」の看板は残っていたが、もう何もなくなりゲートも開いている・・・
 何もないし、ちょっと入ってみたが、貨車積みポケット?のコンクリートが半端に残っているだけ。
 ここまで鉄道が入り石炭を運び出していたのだ・・・
 閉山後、敷地の奥に木炭を造る釜「十連釜」の青い三角屋根が並んでいたようだが、今はそれも無い。



 北炭真谷地炭鉱総合事務所跡地(左画像:左側)
 炭鉱敷地の入り口にあった事務所も跡形もなく無くなっていた。(2008年取り壊し)
 画像に写っているのはリサイクルセンターで、正面の奥にある建物は木炭工場だった建物。
 その木炭工場の建物は、炭鉱が稼働している頃は専用線の機関庫だったようだ。

 草に覆われてほとんど見えないが、コンクリートの土台などがわずかに残るだけの炭鉱跡・・・
 ズリ山にも木々が育ってきてるし、このまま原始の森へと戻るだけなのだろうな・・・



 リサイクルセンターも学校の体育館のような建物だが、元は別の何かの建物だったのだろうか?
 事務所っぽい建物も、事務所か旅館に見えるし、昔あった建物を増改築したように見える。



 来るとき大根が乾してある家があった真谷地市街。元は商店や郵便局っぽい建物もある・・・
 建物の造りから、単なる住宅ではなかったことが想像でき、街の中心だったように見える。
 立派な橋があったので渡ってみた。木々の紅葉はまだ早い。橋の上の藻が光っていた。

 バイクを橋の上に止めて、橋の奥に続く道を歩いてみる

 橋を渡った先も草地に舗装路が延びていた・・・
 後で調べると、そこには「4区」という住宅地で、
 公衆浴場などもある区域だったようだ
 ここも線路と道路に沿って炭鉱街が山奥まであったのだ
 閉山からわずか23年で、ここまで何も無くなるとはね・・・
 縁遠い炭鉱街だが、これからも消失し続けるのは、
 自分が育ってきた時代の一部が消えるようで悲しい

 沼ノ沢から真谷地の入り口となる「6区」
 新旧のアパートが建ち並ぶが空室が多い
 住む人も高齢者となった人が多いのか・・・
 寺がある坂を登ってみると、廃園の幼稚園
 ここの小学校も残っていない・・・

 住宅以外、何も残っていないのか・・・
 アパート前の公園だったような広場に
 ポツンと残されたパンダが寂しそうだった

 沼ノ沢
 駅は現JR石勝線と真谷地炭鉱専用鉄道との分岐点
 専用線が無くなった今は無人駅で、元駅事務所?に
 人気の「レストランおーやま」が隣接している

 何かの集まりか?店の前に車がビッシリだった
 駅の周辺住宅街を回ってみる
 そこにあった社宅のような家が並ぶ光景は、
 小学生の頃まで住んでいた景色に似ていた
 転勤族だった父親も社宅暮らしだったから、
 登別も函館も、こんな感じだったな〜・・・

清水沢ダム


 ダムを越えて町があるなんて・・・ダムを渡った先にも町があったことを知った。
(▼走れる所まで走り、奥からカメラで撮影したものを逆にして、入った順にしてみた▼)



 国道側からダムを渡りきった場所。右手には潰れてしまった家が残っていた。



 左の奥、林の向こうにも家が見えた。住んでいそうな気配だったので、この場から撮影。
 (後で調べたところ、林の奥にはホテルだった家が残っているようだった。)
 ここから奥へと進む。街路灯も残っているし、電線が奥まで伸びている。



 少し走ったところにある1軒の廃屋。ここには2006年頃までカメラマン風間健介さんが住んでいたそうだ。
 湖畔に沿ってボート乗り場や遊具がある「清湖公園」だったというが、今は何も無く雑草が生い茂っていた。

 林を抜けて少し視界が開けると、数軒の家が見えたところに人が居た!(右画像:入ってきた方角)
 最初に見えた家には衛星アンテナも立ち、人が住んでいる気配があったが、他は人の気配を感じない。

 少し離れた先の家の前に男性が独り、道路の真ん中で数匹の猫にエサを与えていた。
 その前を黙って通り過ぎ、奥まで走っていった。野良猫?住人?元住人?見回り??



 男性が猫にエサを与えている家の前を過ぎると、古い電柱があった。(右画像:中央にも写る電柱)
 「清湖町」・・・ここ一帯の町名が小さく書かれたプレートが電柱に残っていた。

 (右画像)奥から男性と猫たちがいた建物をみた風景。

 この先で舗装路は終わり、草が生い茂っていた
 見晴らしのいい場所だけど、
 家が建ち並んでいたのだろうか・・・
 想像してみることしかできない

 ダムを橋のように渡ってくる町、
 まだ住んでいる方もいるようだけど、
 誰も住まなくなったら来れなくなる場所になるのか

大夕張鹿島


 また鹿島小学校の跡地です。今回は清水沢〜大夕張までビデオカメラを回しながら走ってみた。
 年内にノルマをこなそうと急ピッチで工事が進められているのか、ダンプばかり走っている。
 展望台や公園跡を探ってみようとするが、おちおち路肩に止まってられない。

 ほんとうにあと2年で新ダムが完成し、ダムに沈むのか・・・
 山があるから日が陰るのが早い校庭。子供達は何時頃まで遊んでいたのだろうか・・・

白銀橋


 この辺りは紅葉がキレイに染まり始めていた。しかし、キレイな木々は水際に多い。
 伐採されて利用もされずに、このままダムの底に沈んで枯れ果ててしまうのか?
 上の方は紅葉の色がイマイチな木々が多いし、紅葉がキレイな木々は水に沈み枯れる運命か・・・
 ・・・記念に幼木でも持ち帰って、自宅の庭に植えたい気持ちになるよ。



 南部幌南町へと戻ると、夏頃から壊していた炭鉱住宅がすっかり消えていた・・・
 先月(右画像)も作業中に訪れているが、急にピッチが上がったのか?わずかな期間でキレイに更地・・・
 国道沿いのガソリンスタンドがすっかり見えてしまった・・・まだ公園の遊具はそのままだった。



 先月はシカ4頭がいた山側の家も、1ヶ月でキレイさっぱり消えていた・・・
 古い住宅だけど、モルタル住宅よりしっかりと建っていた。資料館などに使えなかったのか?
 そう思うが、手間暇と金をかけて管理するよりも、壊す方が安いのかな・・・悲しいね〜

 夕張市平和まで戻ってきた
 清水沢駅近くで、近距離にヘリが現れた!
 道路からすぐ上の山から木を運んでいる?!

←白いヘリの下にワイヤーで吊られた木が飛ぶ
 それが日吉、ユーパロの湯あたりに降りた
 わざわざヘリ使って運び、どうすんだべ??

 薬局なんだけど色々売ってる店で、
 名物「うさぎや シナモンドーナッツ」を買う

 平和の周囲も道道を走るだけでよく知らない
 今は運動公園がある開けたイメージだが、
 以前は平和炭鉱の施設で埋まっていた場所

 東の谷側に降りてみると、アパート群などが残っている
 炭鉱住宅としては新しいのだったであろうアパートも、
 窓がふさがれて、人が住む気配は感じられない

 先へと進めば、まだ真新しい「夕張高等養護学校」がある



 鹿の谷から再び沢へ降りてみると、そこは千代田という区域。廃アパートが残っているまま、
 奥へと進めば新しいアパートの前で子供たちが遊んでいた・・・
 木造で長屋のような炭鉱住宅からコンクリート造アパートまで、子供の頃を思い出す昭和の匂い。
 町の中をいろいろ巡ってみると、本当の炭鉱街の姿が少しは見えてくるような気がする。

 日が暮れてきたのでハイペース
 また今度来ればいい・・・
 そう思っていると、また消えてしまいそうで
 夕張に昭和の風景を探してしまう・・・

 ディープな場所を巡り、道を進んでたら、
 末広の山の上まで来た・・・
 展望はいいし、テレビも映り良さそうだけど、
 すごい場所に家があり、まだ暮らしがある・・・



 山間の日暮れは早いな〜・・・落陽に間に合うか?
 新しくなった道道3号で夕張を出る

 広大な北海道でも、夕張などの炭鉱街、
 函館や小樽の港町、そして室蘭や釧路などにも
 急な山坂に家があったりする
 その多くは、北海道が発展してきた産業都市
 工場などが一等地にあって、住居は山の上だ・・・

 幻の景色を集めていくのは、終わりがないな〜



 栗山町に入ったあたりで陽が沈み始めたので、ウラルートに入ってバイクを止めた。
 空がオレンジ色に染まるのを待ってみたが、染まる雲も少なく期待した空にはならなかった。

 自然豊かな北海道の景色。廃墟も無くなればもっとキレイな自然の景色になるだろう。
 ・・・そんな風に思っていたこともあるが、北海道の基幹産業だった炭鉱が無くなったことで、
 こんなに多くの街が消えていることを知ると、何か違うような気がする。

 北広島

 集めた昭和のカケラ・・・
 暗い話題になりがちだけど、自分には新しい発見

 今は街が無くなってしまいそうな
 炭鉱街に集中してしまってるが、
 豊かな自然と美味しい食文化だけでなく、
 今の風景になるまでの移り変わりをもっと見てみたい・・・

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