産業遺産探索ツーリング.6<芦別・歌志内>    ●画像クリックで拡大表示アリ
10月2日(sat)【晴れ】

 また産業遺産めぐりで空知を走ります
 去年までは、よく富良野に向かったルートも
 炭鉱街の歴史を知るにつれて、違って見えてくる

 緑豊かで、のどかな田園風景の中を走っていると
 石炭最盛期はどんな空だったのだろうと考えてしまう
 いつもの道道917号でまずは三笠



 幌内炭鉱があった唐松地区。道道から1段上がった丘の上にも住宅が広がっている。
 アパートも建ち並び住んでる人もいるが、学校なども無くなった今では閑散としている。
 そこには今も古い住宅が少し残っていた。立派な造りの家もあったが、主を失って廃墟。
 炭鉱と駅が見渡せるような丘の上にあった住宅、眼下にどんな景色が見えたのだろう。
 当時の写真資料など見ても、ほとんど白黒写真なので木々の緑や空の色はわからない・・・



 それから国道452号で桂沢湖を過ぎ、芦別へ。
 紅葉も今月にはピークになると思うが、山の木々も暑さのせいか色付きがボンヤリした感じだ。



 三段の滝・・・どうも今年の紅葉は色がくすんでいるし、特に赤色が冴えない。
 昨年、ここの小さな売店で芦別の名物「ガタタン」を食べたが、今回は無かった・・・
 道道135号で富良野へ向かうクルマは多いが、芦別方面へ向かうと交通量がグッと減る。



 桂沢湖〜上芦別の区間、交通量が少なくて快適に走れるルートのひとつ・・・だが、
 1988年頃、初めて友人と2人でジープで走った時は未舗装でホコリまみれの思い出がある・・・

 注意して見ると脇道があり、木々の間から川の対岸に家が見え隠れする・・・
 今は三段の滝を過ぎてから、上芦別の街まで畑地があるだけの景色なのだが、芦別も元炭鉱街・・・
 頼城町に入る手前?赤い橋が見えたので脇道に外れる・・・紅葉したらいい感じになりそうな眺め。
 奥に進むと、川沿いに畑地と数軒の家が点在。国道からは木に隠れて見えないような場所だった。

 この区間には炭鉱の施設がまだ残っていた記憶があるが、今は数軒の家と畑が広がる景色・・・

 芦別市頼城町


 古い建物の商店がポツンとあった。看板の“ハニースタンプ”って何だべ!?
 家が密集する区域、商店街があったような通り・・・子供の姿が無い公園・・・
 炭坑があり、線路もあり、幼稚園から中学校まであった街・・・今は何も無かったように静かな田舎町。
 ここも後でネットで調べると、信じられない街の景色があったとは、この時は知らずに来ていた・・・


頼城中学校 現:星槎国際高等学校
 中学校だった校舎は、学校として使われているようだったがグランドは荒れたまま・・・
 校舎は使われているせいか、まだまだ立派だ。小学校も同じように利用されいるようだった。
 (平成8年に廃校。現在は通信制の私立高校、星槎国際高等学校の本部ということらしい。)



 バズ亭「頼城学校前」・・・国道沿い東側には、商店っぽい建物が数軒、奥には草原が広がる。
 緑泉町・・・そこに住宅街があった舗装路の痕跡はあるが、広大な更地が続く景色・・・
 小学校も中学校もかなり大きい。多くの人が暮らしていたなど、今の景色から想像できない。
 初めて走った1988年頃だって、町のことなど気にしていないから記憶もほとんど無い。
 しかし道道から脇へ入ってみると、雑草に覆われた舗装路が残り、最近まで宅地があったことを物語る。

 三井芦別炭鉱、頼城の商店街から南には立て坑がそびえ、賑わう商店街・・・
 後日ネットで見つけた画像や地図、芦別の周囲は大小の炭鉱だらけではないか!

西芦別
 ここにも商店街らしき通り・・・
 子供の頃に見てきた商店街のような景色
 どの店も営業しているようには見えない

 道路の反対側も古い炭鉱住宅はほとんど無いが、
 それらしき改良住宅のアパートも残っている
 不自然に更地になっている場所に新しい住宅
 空いている区画は今後埋まってゆくのだろうか?



 駅っぽい建物?・・・(後で調べると、三井芦別駅だった)
 商店や旅館っぽい建物・・・駅前繁華街かな?何も記されていないので推測しかできない。

 その後もグルグル西芦別付近を回って見たが、もうほとんど形跡が無くなっている。
 1990年頃から道内の炭鉱施設や住宅など炭鉱に関わる全てが、どんどん姿を消していったようだ。
 それを今頃になって炭鉱街の形跡を探しても何も残ってない地が多く、時すでに遅かったのだ。

 現在の北海道の景色からなのか、北海道の開拓の歴史を語るとき、酪農業のイメージが強い。
 しかし林業や漁業、石炭産業なども幕末・明治から発展してきた北海道の重要な開拓の歴史なのだ。
 北海道が大きく発展してきた基幹産業だったのに、石炭産業の跡はなぜもっと残せないのだろう?

 石炭最盛期の時代を知らない世代だが、街の姿を見ると何かポッカリ抜けたような気分・・・
 現地にはわずかな手がかりしか残ってないが、いずれHPにまとめてみようと思う。

 宝来軒
 秋になったら来ようと思っていた
 名物「ガタタン」で人気の店

 びっちりクルマが止まっていた
 普通の食堂らしく、メニューが豊富!
 まさかの根室グルメ「エスカロップ」まであったw
 注文はもちろんガタタン!



 二人でも丼に入ったガタタン1杯で満腹になりそうだが、かにチャーハンも注文。
 このチャーハンが絶妙炒め具合で旨い!庶民的な食材しか使ってないのに塩味優しいガタタンも美味しい〜!
 寒いときは最高に温まる。厨房に立つお母さん達もイキイキしている。
 炭鉱という暗いイメージを追いかけていても、そんな光景にホッとさせらる。
 そしてガタタン&チャーハンで満腹。ガタタンラーメンだったら量が多すぎただろうな・・・

 旭ヶ丘公園
 以前は国道452号沿いになったが、
 ルートが変更され、国道側からの橋も無くなってた
 今は「芦別レジャーランド」の奥にひっそりとある感じ
 無料でサルやシカなどの動物を見れる公園・・・
 ずいぶんマイナーに見えるが、昔は賑わったのかな?
 小さな子供を連れ来るには良さそうな場所だった

 公園には紅葉が始まったサクラもあったが、
 紅葉の見頃を迎える前に散ってしまいそうな木々が多かった

 芦別を調べていて参考にさせてもらったHPは→ 芦別物語
 多くの写真や地図で、故郷のことを詳しく紹介されていて、街の移り変わりに驚きます。


赤平市


 赤平のことを詳しく知ったのは「クラシックカーフェスティバル」を見に来るようになってから。
 それまでは国道を通り過ぎるだけの街だった。かつての炭鉱街はどこも衰退していくばかりで、
 赤平も「クラシックカーフェスティバル」が毎年開催できなくなっている。次回はいつになるか・・・

 街の北側に道道38号のバイパスが出来てからは、元の国道側は更に寂しくなったように見える。
 国道沿いを走っても、昔から気になる古い建物がまだ残っている。
 駅前商店街だった?場所などにも生まれた頃から見てきたような店も残っていた。
 こうして店が開かれて人が住んでいると、懐かしい嬉しさがあるけど、人が住まなくなった家や、
 シャッターが降りた店、住まないことで廃墟となった家などを見ると、悲しい気持ちになる。

 それは以前住んでいた登別・室蘭が、新興住宅地が広がり郊外型大型店舗ができてからは、
 昔は繁華街だった場所がどんどん寂れていく光景と同じで、何ともいえない気持ちになるのだ。

 旧山田御殿
 炭鉱全盛時代の昭和28年(1953)に山田組を創設し、
 運搬、炭鉱経営などの事業をしていた山田三郎氏の家
 明治の頃の建物のようなモダンな造り
 当時としても高級な秋田杉を使ったそうだが、
 今建てようと思ってもかなり贅沢な材料だな・・・

 国道沿いにあるのだが、今はソバ屋
 文化財的な建物に不釣り合いな看板が残念・・・

 赤平駅
 駅と複合施設。色んな願いもあったと思うが・・・
 景気がいい時代に周囲全てが変わっていればいいが、
 不釣り合いにポカンと浮いた駅の建物・・・
 すぐヨコには時代が止まった建物が残っている

 こういった洋風デザインが流行った時代だったし、
 バブル時代は、コレがよく見えたかも知れない
 他の街でも見るけど、今見ると幼稚な感じがして
 残念な気分になってしまうな・・・歳のせいかな?

住友鉱業赤平炭砿


 1994年に閉山・・・つい最近のことのようだ。ココは施設もしっかり残している。
 ズリ山も歩いて登る展望台になっていて、それなりに観光施設として利用はされているものの、
 観光客で賑わうほどのものはない。現在も内部見学ツアーなど、色々と試行錯誤しているようだ。
 夕張「石炭の歴史村」も老朽化で存続が危ぶまれている今、なんとか上手く活用して欲しいものだ。
 

歌志内市
 赤平から道道114号でトンネルを抜けると歌志内
 ここには閉山の平成6年まで使用された
 「住友上歌志内鉱第一立坑」がポツンと残っている

 道路の反対側には「悲別ロマン座」があり、
 映画「幸せの黄色いハンカチ」の中でも出てくる景色
 33年前の映像の中にある景色は、建物がたくさんある
 
 今は周囲に住宅もほとんど無く、寂しい景色だ

 悲別ロマン座 昭和28年竣工「住友上歌鉱会館」


 倉本聰のTVドラマ「昨日、悲別で」のロケ地として有名な建物だが、ドラマは見た記憶が無い。
 「幸せの黄色いハンカチ」の中で見る会館の姿は1棟なのだが、屋根に穴が開いていた。
 今は屋根が落ちた部分が取り去られて、建物が二つに分かれているようだ。
 会館の全面は喫茶店として利用されているようだった。

 悲別ロマン座の背後に小さな橋と案内板・・・
 案内板には「ニングルの森」とあった
 最盛期は住宅や施設があったと思われる場所に、
 自然公園のような施設を造ったようだが、
 今は荒れ放題で機能していないようだった・・・

 歌志内も財政破綻になりそうな街・・・
 不況の時代、幹線ルートから外れた山深い場所に、
 景観を売りにする観光産業は難しいべな・・・

 狭い谷間にある街、蛇行する細長い街
 今ではそんな感じにしか見えないが、
 ちょっと脇道に入ると、奥にも家がある

 他の街を考えると、住宅はもっとあったと思う
 行けそうな脇道を奥へ入ってみると・・・



 割と新しいアパートや古い木造の炭鉱住宅らしき家が、山の奥まで点在していた・・・
 よく走り抜けている街なのに、見ているのは上っ面だけで、本当の姿を知らないでいるのだ。
 火事で燃えた家があった・・・最近だったのか、まだ焦げた臭いが残っていた・・・



 まだ奥に続くの!・・・まだ行くの〜?と後ろでヨメがビビってる・・・
 けっこう奥まで人が暮らす家があったが、道路が途切れた所には朽ち果てた木造住宅があった。
 クマが出てきそうな場所でバイクを降りると、「キィ〜!」といったような獣の鳴き声!
 振り返ると、ヨメがビビって固まっていた・・・w
 ・・たぶんシカだろうと思うが、生い茂った草陰から何か出てきそうだった。

 昔の写真など見ると、山の上にも家があり、もっと多くの家があったのだ・・・

 日暮れが早い歌志内を後にして、
 久々に道道627号で砂川を目指すと、
 初めて気づいたのだが、
 ループ状の高架道路が見えた・・・
 まだ新しいし、最近造ったのだろうか?
 どこへ抜けるのか走ってみた・・・



 普通にトンネル掘るより造りやすいのか?ここを越えると上砂川だと思うが・・・

 ループが終わると、急に悪い路面
 道道114号でもつながっているのに、
 この道を整備して開通させる価値はあるのか?

 どれほどの利用価値があるのか不明だが、
 必要に迫られるほどのルートとは思えなかった・・・


 砂川市に入ると、日が暮れ始めた

 行動できる時間が短いな〜・・・
 訪れた街を見て歩くには時間が足りない
 クルマやバイクで見て回るのも限りがある

 その街を知るには、何度も来ないと・・・

美唄東明駅


 勾配のきつい地形に合わせ、三菱造船神戸造船所に特注された「4110形式蒸気機関車」
 三菱美唄炭鉱の専用線だった美唄鉄道の東明駅跡のウラに、ひっそりと保存されている。
 昭和47年(1972)に閉山した三菱美唄炭鉱、38年前だからずいぶん昔のことだが、
 奥にある立て坑と機関車はキレイに管理されているな・・・

 目の前にある住宅では、爺さまが薪を積んでいた・・・もうすぐ寒さが厳しくなる季節。
 さすがに冷えてきたので、ここでヒートテックを1枚着込んだ。

南美唄


 砂川〜三笠市峰延まで道道1130号で国道を避ける毎度のルート。
 いつも通っていたココは、南美唄。ここにも炭鉱があり、炭鉱で栄えた地域だ。
 今は自衛隊駐屯地があるが、沿道にある古い住宅などは元は炭住だったりしたのだった・・・
 ネットで美唄を調べ、昭和30年代の最盛期などの写真を見て、ようやく理解した。
 かつて炭鉱で栄えた街を知っていても、想像をはるかに超える規模の街が広がってたのだ。

 もう5年早く行動していれば良かったのだが、壊されてしまったり、ダムに沈んだり、
 立入禁止になってしまったりで、現地の形跡や手がかりがほとんど無くなってしまった。
 消えて無くなるとなれば、まだまだ来年も炭鉱街を焦って巡ることになりそうだ。
 これから冬にかけて資料館なども巡ってみようと思うが、失っているものが多すぎるな・・・

 炭鉱跡や鉄道、廃墟などに興味があるワケでもないのに、炭鉱街をめぐり始めたのは、
 そこにあった街へと続く道、そして街と暮らし、暖かみのある建物や情景を探している。

 自分が生まれてからの昭和70〜90年代の景色をもっと知りたいと思い始めたのはいいが、
 半端に近年のせいか?語られるような歴史が無いからか?これから自分の世代が語り始めるのか・・・
 クルマもバイクも音楽も映画も一番好きな時代なのに、身近な景色のことを忘れている。
 道路が整備され、どんどん便利になり始めた初期の頃、どんなだったのだろうか・・・

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